日本人初の全米催眠療法協会認定ヒプノセラピー講師 中島勇一によるグループセッション
日本人初の全米催眠療法協会認定ヒプノセラピー講師 中島勇一によるグループセッション


2004年8月1日

「生きる意味」

 「何のために生きるのかを、どうしても知りたいのです」

 個人セラピーに訪れたあるクライエントの方が、こうおっしゃいました。かつて私自身、必死になって、生きる目的を探していた時期がありました。その頃の自分は、せめて自分の生きる意義や目的がわかって、この人生に生きがいを感じられるようになれば、つらいことがあっても何とかやって行けるのではないか、そんな気持ちだったと思います。生きる意義や目的という「支え」を必要としていたのです。まるで足にケガをして立てなくなっているときに、松葉杖にすがって立ち上がろうとするようでした。私たちはなぜ、このように生きる意義や目的を追い求めるのでしょうか。


■我を忘れることで「いのち」の元々の状態に戻りたい


 それにはいくつかの理由がありますが、一つには、人間は何かに夢中になりたい生き物なのかも知れません。それに没頭し、我を忘れてしまえるようなことを無意識の内に求めているのです。

 一歳の子供と一緒にいると、機嫌の良いときには、意味をなさない言葉をさかんにしゃべりながら、夢中になって遊んでいます。目に入るものすべてが、面白くてたまらないようです。そんな姿を見ていると、これが「いのち」の元々の状態なんだなぁ、と思うのです。

 これから成長とともに、意識がどんどん発達して、色々なことを考えることができるようになっていくことでしょう。それと同時に、目の前の世界にいつでも夢中になることのできる状態は失っていってしまうのです。

 意識が発達するに伴い、「自我」が生まれてきます。「自我」というのは、生命の進化の流れのなかでは、人間だけにある特殊な意識の状態です。人間以外の生命や乳児のように、自我がない状態が「いのち」本来の姿なのです。

 自我は、すべてを自分の思いのままに管理しようとします。自我が出来る前の、自然な調和の取れた状態に戻りたいと、私たちの中の「いのち」は思っているのかもしれません。


■意識が納得できる「意味」で失ったものを埋め合わせる


 しかし、この文明社会の中では、夢中になって我を忘れている状態だけでは生きていくことができません。社会とは、自我を持つ人間が集まって作り出したものなので、その中で適応していくには、「意識的に」「理性的に」生きていかざるを得ないのです。

 このように、私たちは自分の自我からの管理と、社会からの管理を二重に受けています。社会生活を健全に営む上では、常に理性的であることが必要ですが、何かに夢中になって、いのち本来の状態である、我を忘れた状態に戻りたくなることもあります。こころの健全さを保つ上では、この両極のバランスをうまくとることが非常に大切なのです。

 心理療法では、「やるべきことを、キチンとやらなくてはいけない」「常に良い子でいなくてはいけない」と、自我に管理されている状態にはまり過ぎてしまっているクライエントには、「自分が好きなこと、やりたいことをどんどんやりなさい」と勧めます。単なる気晴らしのように思えるかもしれませんが、ほんのひとときでも心から楽しむことができれば、自我に管理されている状態から解き放たれて、それだけでずいぶん楽になっていくのです。

 すると、役割に疲れ切っていた心の片隅に、「この世には面白いものが色々あるんだなぁ」という気持ちが芽生えてきます。やがて、美しいもの、楽しいもの、好奇心の尽きないもの、感動するもの、愛しいものがたくさんあることに目が開いていくようになるのです。

 しかし、自我が生まれてしまった人間にとっては、我を忘れた状態に戻るのはそう簡単なことではありません。悩みを忘れたくて、アルコールで一時的に我を忘れたり、あるいはギャンブルに夢中になったとしても、自我がそのことに意味を見出せないときは、あとでますます自己嫌悪に陥ってしまったりするものです。赤ちゃんのときは、ただ目の前のことに夢中になって「いのち」の本来の姿でいることができたのに、大人になったときにはその能力を失ってしまっています。その失ってしまった何かを埋め合わせるために、私たちは意識が納得できるような意味を必要としているのかも知れません。


■「いのち」の中に元々ある大きな『生きる意味』


 ヒプノセラピーでは、どこか一点を見つめることで、簡単に催眠状態になることのできる手法があります。

 ある一点を見つめると、意識がそこに集中していくので、見つめていること以外の意識が次第にお休みしていきます。やがては、見つめている意識もお休みしたくなって、まぶたがひとりでに閉じられていきます。そして内側から浮かびあがってくるイメージの中、完全にリラックスした状態で、心が自由に遊ぶことができるようになります。まるで幼な子のように、その瞬間、瞬間に夢中になって、我を忘れていくのです。

 生きていくのがつらいと感じているクライアントは、何かの思いに囚われています。つらくても、その思いがその人にとって意味があるときは、簡単には手放せません。催眠状態では心が軽やかに動けるので、その思いに込められた理由、価値、目的を、別の立場から見つめ直していくプロセスを楽に進めていくことができるのです。

 また、あまり複雑でない悩みの場合は、ただ催眠状態を体験するだけでも、心と体がすっきりとして楽になっていきます。意識がお休みしていくと、管理されていた状態から解放されて、無意識のなかにある「いのち」本来のはたらきがスムーズに働いて、自動的に調和の取れた心と体の状態に戻してくれるからです。自我が大切だと思って囚われていた小さな意味を超えて、無意識の奥で「いのち」の中にもともとある、もっと大きな『生きる意味』が働いてくれるのでしょう。
 

■「夢中になること」自体に意味がある


 前述の、「何のために生きるのかを、どうしても知りたい」と言っていたクライエントの方は、その後、最後の個人セラピーのときにこのように語ってくれました。

 「今の私は、人生の意味を探し求めなくなりました。では、生きる意味や目的についてはっきりとした答えがみつかったのかというと、そうでもないのです。どういうわけか、そういうことを自然に思わなくなっているのです。たぶん、意味や目的を探さなくなったのは、生きるのが辛くなくなったからだと思います。そして、意味というよりも、その時、その時に自分が感じている面白いものに夢中になっていることが多くなってきています。人生の意味とか目的のような、あらかじめゴール設定されているものに向かって生きるのではなく、ゴール設定のないところを生きていくこと、それ自体に価値がある、と感じるようになってきました」

 クライエントの方に生きる意味を訊かれても、私には答えられません。個々の人の生きる意味は、それぞれ自分のちからで見出すものであって、他の人から与えられるものではないからです。

 しかし、長年心理療法にたずさわっているうちにわかってきたこと、それは、「夢中になること」「没頭すること」の大切さです。「いのち」の観点から見れば、それ自体が私たちの生きる意味と言えるのかも知れません。


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