日本人初の全米催眠療法協会認定ヒプノセラピー講師 中島勇一によるグループセッション
日本人初の全米催眠療法協会認定ヒプノセラピー講師 中島勇一によるグループセッション


2006年10月1日

「気づかぬうちに犠牲していませんか」


 私の郷里の岐阜では、夏になると長良川で『鵜飼い』(うかい)が行われます。夜の川に舟を出してかがり火を焚き、その灯りに集まってきた鮎を、鵜(う)という鳥に捕まえてこさせる古式漁法です。

 鵜は長い首とくちばしを水の中で素速く動かして、鮎をくわえると水中から出てきます。そして鮎を飲み込むと、すぐに次の鮎を捕まえに水に潜っていきます。鮎をたくさん飲み込んだ鵜の長い首は、まるで獲物を飲み込んだ蛇のように大きく膨らんでいます。鵜匠は、ヒモを手繰り寄せて鵜を舟に上げ、首をしごいて吐き出させるのです。よく見ると、鵜の首の根元がきつく縛ってあって、鮎が胃袋まで入っていかないようになっています。お腹の空いている鵜は必死になって、また水の中に潜っていきます。自然な状態の鵜なら、腹が満たされれば、水から上がってのんびりするでしょう。でも、いくらたくさんの鮎を捕っても満たされない鵜は、一生懸命に頑張り続けるのです。

 今回は、頑張っているのに満たされない状態、「犠牲」について考えてみましょう。


■犠牲している人は受け取ることができない人


 自分が何を求めているかはっきりしていて、「そのかわりに、これだけ与えます」という場合は、百円出して百円に見合った物を手に入れるようなもので、そこには犠牲は生じません。

 逆に、相手から何か見返りが欲しくて与えているわけではなく、無条件に「やってあげたいな」という気持ちから相手に与えているようなときも犠牲は生じません。

 犠牲は、『与えること』と『受け取ること』のバランスが取れていないときに生まれます。

 バランスが取れていない状態には2つあって、ひとつは与えていないのに受け取ろうとすることで、これは犠牲をさせる側の人に見られます。もうひとつは、与えているのに受け取れない状態で、犠牲している側の人に見られます。つまり犠牲している人は、受け取ることができない人なのです。

 最もわかりやすいのは、最初の鵜のように、強引にコントロールされて与えさせられているときです。

 怒ったり、泣いて見せたり、淋しそうな顔をしたりといった感情を使った脅迫や、「関係を切ってしまうぞ」と脅迫されて与えさせられている場合です。怒られたくない、見捨てられたくない、という『怖れ』に突き動かされて与えます。「犠牲的な関係は嫌だけど、別れるのはもっと怖いから犠牲し続ける」という葛藤状態にいるのです。被害者としては大変な状況ですが、「これは犠牲だ」と自分でも気づいてやっているので、心理的にはあまり重症にはなりません。自分が怖れている感情から逃げ続けるのか、それとも向き合うのかがテーマになります。

 やっかいなのは、自ら進んで与えているのに、受け取ることができない人の場合です。「自分のことを気に入ってほしい」「いい人だと思われたい」という秘められた目的があるため、与えるのが苦しくなってきても、いい人でいたいから文句を言えません。そして、「いつか気づいてくれるだろう」と期待しながら、相手にどんどんつぎ込んでいくような状況が続きます。

 さらにやっかいなのは、自分の欲求に気づいていない場合です。表面では「相手のため」と言って尽くしているのですが、認めてほしいとか、好きになってほしいとか、本当は何か相手から得たいものがあることに、自分では気づいていません。相手は、「この人は純粋に親切でやってくれているんだ」、あるいは「やってくれるのが当たり前」と思ってしまい、その人が何かを求めていることに気づくことができません。結果、与えても与えても満たされない気持ちが続くので、際限なく与えたくなってしまいます。それでも満たされないので、へとへとになって、鬱憤が溜まってきます。こういう人は、ある日突然、「自分はなんてかわいそうなんだ。あいつはひどいやつだ」と怒りが出てきたりします。


■自己評価が低いと受け取れない


 犠牲してしまう人々が、自分がほしいものをちゃんと受け取ることができないのは、なぜでしょうか。

 あなたが一万円の商品を誰かに売ったときには、当然、一万円をもらいますよね。これは「その商品は一万円なんだ」という評価が客観的にもはっきりとしているからです。

 ところが、人間関係の中で、自分が人に何かをしてあげたときの自己評価は、主観的な自己イメージによって大きく左右されるのです。「自分なんて取るに足らない存在だ」という自己イメージをもっていると、自分の行動も、「取るに足らないことをしたにすぎない」という評価になってしまい、たとえ相手から心底感謝されても、自分の心の中では低い評価に見合った分しか受け取ることができないのです。

 さらに困ったことに、自己評価の低い人ほど、自分から与えたくなってしまいます。もともと「自分はダメだ」「自分なんて」という気持ちがあるので、その気持ちを補うために、ダメではないことを自分に証明するかのように、頑張ってたくさん与えようとしてしまうのです。そうすることによって、「自分はすごい」「自分は有能だ」「自分は愛情深い」というような感じを得たいのです。でもいくら与えても、自分の思い描くような感覚を受け取ることができないので、決して満たされることはなく、さらに頑張る姿はまるで鵜飼いの鵜のようです。

 鵜は、鵜匠に喉を縛られています。犠牲する人は、心の中の自己イメージの低さが喉を呪縛のように締め付けているので、どんなに人から評価されてもそれを飲み込むことができないのです。鵜も、ときどき、小さい魚だと喉を通り抜けて飲み込むことができるといいます。犠牲する人は、「私はそれぐらいだったら値する」と思える分しか受け取ることができません。そのちっぽけなものを食べて生きているのです。

 中には、受け取れていないことに気づかない人もいます。頑張って成果も上げていて、周りも評価しているのに、本人の心の中では「自分はもっと高い能力を出したいのに、この程度の成果では当たり前のことをしているだけだ」と思うのです。こういうタイプの人は、いつも理想の自分と比較してしまうので、今の自分を評価できないのです。そもそも、理想の自分にこだわるのは、自己評価が低くて、それを感じたくないからです。だから心の中で、理想の自分の立場になって今の自分を眺めているのです。周りから評価もされているので、犠牲という自覚はありません。でも理想の自分が今の自分を評価していないため、いくら周りから評価されても、「これぐらい当たり前です」と、その評価を受け取ることができません。それどころか、自分ではまだ足りないと思ってやり続けて、どんどん加速していってしまいます。これは理想の自分に犠牲させられているようなものです。そのうちに心か身体のどちらかが動かなくなる、つまり、鬱になるか病気になるまで頑張り続けてしまうのです。

 実は、犠牲している多くの人たちは、自分が犠牲しているということを認めたくないのです。犠牲していることを認めると、余計に辛くなってしまうので、そんなことはないと打ち消したくなるのです。なぜ辛くなるかというと、犠牲までして自分を与えている場合には、それなりの強い理由があるからです。相手に見捨てられたくないとか、認めてもらいたいという強い欲求があるので、犠牲することを簡単にはやめられません。

 あなたが、付き合っている相手に尽くしても尽くしても、ますます相手をつけあがらせる悪循環にはまっているとしましょう。ある日あなたはそれが犠牲だと気がついて、もう犠牲をするのはやめようと思います。しかし同時に、相手に見捨てられて、一人ぼっちになってしまうという大きな怖れが出てきます。あなたはこの大きな怖れと向き合うよりは、犠牲している方が楽なのです。「彼を愛しているの」とかさまざまな理由をつけて犠牲をごまかしてしまうと、もっと楽に犠牲し続けることができるでしょう。

 会社のために一生懸命にやっていたのが、実は犠牲だったと気づくと、辛くなります。でも、「今の情勢ではこれくらい当たり前だよ」とか、「社長も大変なんだから」と報われない現実から目をそむけ、自分で自分をごまかしておくと楽なのです。

 こういうタイプの恋人や社員をもっていると、文句を言わずに、しかも犠牲だとも思わずに一生懸命やってくれます。でもやがて、心と体がスカスカになって魅力がなくなってしまうか、あるいは鬱になって辞めてしまいます。一生懸命に頑張ることが悪いといっているのではありません。自己評価が低いまま、それを補う行為として与え続けていても成長できないし、やがて頑張れなくなってしまうのです。

 自己評価の高い人は、犠牲させられることにすぐ気づきます。そして、自分が求めるものを上手に要求します。さもなければ見切りをつけるのも早くて、ちゃんと自分を評価してくれるところに行こうとするので犠牲にはまることはありません。


■今の自分と向き合う勇気をもつ


 自分が犠牲していることに気づいていない場合でも、それを続けていくと無意識の中から漠然としたメッセージがやってきます。「なんだかつらい」「些細なことを不満に感じてイライラする」「なんだか虚しい」「やっていて嬉しいという感じがしない」。こんな感じがしたら、あなたは犠牲しているのかも知れません。

 自分が犠牲していることに気づいたら、「何のために犠牲しているのか」と考えてみましょう。「有能な自分でありたい」とか、「認めてもらいたい」といった、あなたの心が強く求めている何かがあるはずです。その背後には、「自分は能力がない」「自分なんて認められない」という低い自己評価があるのです。心の中に奥深くしまわれたこの気持ちに向き合うのは辛いものです。なぜならそれは単なる自己イメージにとどまらず、あなたの一番辛い部分、誰も自分を愛してくれないという感覚や、心の痛みの記憶、死にたいという感情と一緒になっているからです。そんなものに直面するよりも、何か価値のある行動をすることでごまかしてしまいたくなります。しかしこれらと向き合わないまま、頑張って成果をあげるという行動に入ってしまうと、いくら頑張っても自己評価の低さは置き去りにされたままで、あなた自身が燃え尽きてしまうのです。

 向き合うというのは、まず、「自分は低い自己イメージを持っている」ということを受け入れることから始まります。今の状態を受け入れないままではそれを変えることができないからです。

 自己評価には、子供の頃の体験による自己イメージや、何らかの罪悪感、あるいは他人のせいにしないで自分で人生に責任を持っているかどうか、などさまざまな要因が関わっています。もちろん最終的には自己評価を高くしていくのが目的ですが、なかなかすぐには変わりません。しばらくは、自己評価が低いということを抱えながら生きていくことになります。

 「自分はこの低い自己イメージと、これからどう付き合っていこうか」。

 まずは、それと一緒に生きていこう、育てていこうという温かな気持ちによって、心の中の自己イメージが次第に変わっていくのです。
 


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